
コミュニケーションカウンセラーの岡部あゆみです
私の好きな哲学家の池田晶子さんの書籍に
次のような文章がある
【人は見事に自分の見たいものしか見ていない
自分の見えるようにしか見られないという大常識を
今さらながらすごいと思うのである。
いやこれは本当に凄いこと、考えるほどに驚くべきことなのだ。
あんまり当たり前なので、滅多に人は気づかないが
これは人間の認識の根本問題なのである。
すべての人間は、自分の見たいものしか見られない。
見えていないものも見たいと見ても、やっぱり見えるものを見るしかない。
~中略~
すなわち、世界とは「その人の」世界でしかあり得ないのである
だからこそ、このことに気づくと、世界を見る見方が変わるのである。
すべての人が、その人に見える見方で、世界を見ている。
むろん自分もそうである。
自分には世界はそう見えるが、それは自分の見方でしかない。
こう相対化することができる。
では他の見方はどうなのか。
賢くなりたいと思うなら、当然それを学ぼうとする。
自分にはわからないことを言う人の言うことを、わかろうと努めるだろう。】
※『知ることより考えること』新潮社より抜粋
例えば、目の前に見えている色だって同じとは限らない
だから、インテリアとか色を確認する仕事をしている人は

このような色見本の番号で確認する
黄色と言ってもそれぞれ色のイメージが違うからだ
このように番号で区別しているとわかりやすいが
普段の私達の思考や感情には番号が付いていない
だから、勘違いやすれ違いが起きたりもする
だけど、相手のことを理解しようと努力するだけでも
一歩前進のような気がする
自分とは考え方が違うから
嫌いだから、すぐ無理といって考えることをやめるのではなく
どうしてそう考えるのだろう?とちょっとでも
自分で考えてみることで、また新しい発見があることもある
自分はこう思うというのはいいと思うが
相手に自分の考えを押し付けて同じ意見にさせようとするのは
違うということだ
モチロン話し合って相手が納得するのはいいが
攻撃して言い含めるというのは良くないと思う
私はそういうのがめんどくさいので
ガーっといわれると逆に冷静になったりする(笑)
そして何も言わなくなる
共存でいいのではないかと思う