コミュニケーションカウンセラーの岡部あゆみです
グリム童話に『酸っぱいぶどう』というお話がある
あらすじはこうだ
【旅をしているキツネがいた
お腹がすいているキツネの前にブドウ畑が見えてきた
キツネは食べようと思い側に行ったが、ブドウの木は高くて届かなかった
結局食べることが出来ないキツネはこう言って去っていった
『どうせこのぶどうは酸っぱいに違いない。食べなくてもいい』】
『そんなの価値がない』という人がいる
そのセリフで人を傷つけていることは気づいていない
いや、最初からダメージを与えようと思って言っているのであろうか?
そういう人を見て
私が思うのは、自分を守ることに精一杯なんだなということだ
そういう人は
自分が出来なかったもの
なれなかったもの
したいと思っていたことをしている人に対して
その牙をむける傾向があるような気がする
羨ましいの【羨】の成り立ちは流れる水と、口を開けている人の形から来ており
羊のごちそうを見てよだれを流すことを意味している
妬ましいの【妬】の成り立ちは両手をしなやかに重ねている女性と石
(ここでは貯とおんなじ積もりたくわえられるの意)から、
夫人の夫に対する積もった感情から来ている
女性だけでなく男性も嫉妬をするが、なぜか漢字は女がついている
昔はそういうイメージだったのか、作った人が男性だったのか(笑)
羨ましいと思ったりすることって誰にでもある
自分だけ取り残されているって思うこともある
その思いを負け惜しみの言葉で残すのではなく
自分が自信をもてるよう自分の能力を伸ばす努力をしていった方がいい
要はどういう自分を自分が好きなのか?
悪口を言う自分が好きなのか?
妬んでいる自分が好きなのか?
違うよね
自分を守るということは自分の良いところを伸ばしていくことだと思う
人との比較ではない
と私は思うんだけどなあ
と私は思うんだけどなあ