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コミュニケーションカウンセラーの岡部あゆみです

人はウソをついたとき
どんな気持ちになっているのだろうか?


出典は忘れてしまったが
恐山院代の僧侶南直哉さんの著書の中に
このような文章があった

南さんと70代の檀家さんの一人とのやりとりで

その檀家さんが言った

「私ね、小さい頃、木の枝を折ったことがあるんですよ
でも自分ではないという顔をしていました
そしたら叔父がこういったんですよ
「必ず見ていた人がいるんだよ」と

私はきっと、お天道様とか、神様とか言うと思っていたんですよ。
でも叔父は言ったんです「それは自分自身だよ」って
誰も見ていなくても、自分が見ている・・・

もうそれを聞いて降参です
自分自身にはウソをつけない」

客観性というのはこういうことではないのかなと思った
自分自身を自分が見る

自分自身を見た時に、どうだろうか?
ウソをついていないだろうか?

ウソをつくなと言うわけではなく
そのウソをついている自分を自分がどう見るか
無理をしていないのか
不快に感じていないのか

正に、自分の中の善が問われる

行動するというのは
案外その積み重ねかもしれない

仏陀は
口と身体で良いことをしなさい
そして口や身体で立派な振る舞いをしても
心で悪を思ってはいけませんよ
心もそれにあわせて行きなさいと言っている

心・言動・行動

この3つを矛盾させないようにしていくことが
ストレスをためない秘訣なのかもしれない

と思ったりする今日この頃